コロワイド名誉棄損裁判

コロワイド社がデイリー新潮に掲載された記事に関して出版元の新潮社と執筆者の細野祐二を名誉棄損で訴えている損害賠償訴訟の現況についてご説明します。

この裁判は、2020年7月6日付でデイリー新潮に掲載された「コロワイド、大戸屋プロキシーファイトに敗れて…前門の虎と後門の狼」と題する記事が名誉毀損であるとして、コロワイド社が出版元の新潮社と執筆者の私を訴えているものです。

この記事において、私は、

  1. コロワイドの連結貸借対照表には資本の部の2倍に上る「のれん」が資産計上されていること、
  2. こののれんのROEは資本市場のベンチマーク指標である8%を下回っているため超過収益力を認めることができないこと
  3. のれんを減損するとコロワイドの連結貸借対照表は債務超過となること
  4. 直近事業年度において、監査法人があずさ監査法人から監査法人トーマツに交代しているのは、のれんの資産性に対する監査法人との意見の対立を反映している可能性があること

を主張しましたが、コロワイドは、

  1. 債務超過は事実ではなく、事実ではないことをあたかも事実であるとして記載した本件記事は名誉棄損に当たること、
  2. あずさ監査法人とはのれんの資産性についての意見対立は全くなかったのであり、それをあたかもあずさ監査法人との意見対立が監査法人交代の理由であるかの如く記載したのは名誉棄損に当たること、

を激しく主張しています。

私並びに新潮社は、2020年9月の提訴以来2年間にわたる非公開のネット公判において、本件論考の正当性を延々と主張してきましたが、裁判所は、すでに原告コロワイド側主張に沿った暫定的心証を表明しています。本件裁判は一審敗訴となる可能性が高いと思われます。

本件裁判における裁判所の不可解な訴訟指揮は、「名誉棄損裁判においては原告主張を幅広く受け入れる」とする最高裁事務総局の指導を反映したものと思われ、この現実は、瀬木比呂志元裁判官が「絶望の裁判所」(講談社新書)や「ニッポンの裁判」(講談社新書)において暴露しているとおりです。

瀬木元裁判官の「日本の裁判」によると、かつて名誉棄損損害賠償請求は原告泣かせの訴訟類型で、原告の請求が認められることは難しかったものの、2001年に状況は一変し、その後メディアの敗訴率は非常に高くなり、訴えられればおおむね敗訴という状況になっていることが記述されています。(同書128頁から138頁)

当時の森喜朗首相に対するメディアの批判及び週刊誌の創価学会批判に苛立った自民公明両党が、2001年3月から5月にかけて衆参法務委員会等において裁判所を突き上げ、これを受けて5月17日に司法研修所の研究会が開かれています。この研究会では、名誉毀損損害賠償額の高額化の必要性が主張され、新たな慰謝料算定基準表も提示されています。名誉棄損で問題となる「真実性・相当性の抗弁」について、裁判所はそれまで割合常識的に認めていたところ、2001年の司法研修所研究会以降、これが一変して、「原告の言うことはごく簡単に認める。場合によっては、証人や本人の尋問もしないで、陳述書だけで認めてしまう。逆に、被告の真実性・相当性の抗弁については、非常に厳しいものを要求する。そうなりました。」(「裁判所の正体」248頁)とのことです。

日本の裁判官は、最高裁事務総局の絶対的な管理体制の下で、最高裁事務総局の意向に沿った判決しか出すことができません。2001年の司法研修所研究会は名誉毀損損害賠償訴訟の指導原理となっているのですから、なるほど、コロワイドの損害賠償事件で、裁判所が原告側に有利となる不可解な心証を述べる理由はここにあります。

この結果、日本ではコロワイドのようにスラップ訴訟がやりたい放題となり、日本のジャーナリズムは委縮して、記者クラブ制度を通じての官製報道機関に堕落し、権力の監視機能が全く発揮できなくなっています。我が国の言論の自由を守るためにも、この裁判は絶対に負けることができません。このような普通の財務分析の論考が名誉毀損になるというのでは、わが国の憲法で保証された言論の自由並びに学問の自由は成り立たちません。本件が敗訴となった場合には、私並びに新潮社は最高裁まで争うつもりです。引き続きご支援をお願い申し上げる次第です。

2022年12月5日

陳述書

公開いたします。傍聴なさる方は、こちらを事前に読んでおくと公判は大変面白く傍聴できるものと思います。
陳述書